否定された進化論
進化論により人はサルから進化した、とされている。その「進化」とは進歩とはちがい、「生物の遺伝的形質が世代を経る中で変化していく現象」をいう。
いずれにしても、環境により適合する種類の生物もいれば、非適合な生物もいるということになる。
およそ科学的態度を信奉する人は進化論を崇め奉っている。
たとえば神が人類を作ったなどと言おうものなら、本当に鼻先でバカにされる。
しかし、ここに困った説がある。
現生のすべての生物は10万年から1万年前には最終氷期極大期を経験している。そこで多くの生物が死滅した。氷河期がおわった後から遺伝的な多様性があらわれたという。
我々は進化とはとてつもない長い間の試行錯誤で生物が生き延びた結果だと、このような600万年前からの図を信じ込まされてきている。
ところが地球上の10万種の動物から約500万のDNAバーコードを比較・分析したら、20万年前くらいからしか生物は多様化していないという。
もしそれが本当なら、ランダム変化を前提とした進化論は苦しい立場になる。
今、生きている生物はランダムな変化の結果、環境にたまたま適合した生物が生き延びているという説明だからだ。
そもそも進化論を否定する例として、しばしばあげられるツノゼミの存在がある。
こんな生物の存在する合理性を説明しようとすると屁理屈を並べるしかなくなる。
これがDNAのコピーエラーというのであれば、なぜ種として定着したのだろう。ある日突然、こういうものが大量に発生するの?飛びにくいのに。
地球上で最高の生存力を誇るクマムシのDNAはなんと、ゲノム解析の結果、全く異なる複数の生物界に由来するDNAが含まれることが判明している。その大部分は細菌(16%)のものだが、菌類(0.7%)や植物(0.5%)、古細菌(0.1%)、ウイルス(0.1%)のDNAもあった。どうやって他生物のDNAを取り込み遺伝しているのか? 進化論ではまるで説明がつかない例のひとつだ。
根本的には生物の多様性こそが疑問。
本当に環境に適合したものしか残らないならば、逆に種は減るはずだと思う。
たとえば、携帯電話市場が最初は百花繚乱でさまざまな会社が出現したが、数社に集約されてしまう。
同様に大手の生物集団が弱小集団を蹴散らすことがあって不思議じゃない。
素人の疑問を並べても仕方のないことなのでやめる。
進化論を主張する人々がすべて押し付けていた「長い時の流れ」が冒頭の話のように否定されるとかなり進化論は苦しい立場に置かれることになるだろう。
そうすると、世界は機械的なランダムに変化しているのではなく、なんらかの意思(神とはいわない、それは集団の意思かもしれない)により変化しているということにならないだろうか。
ランダム性を否定する遺伝子が人体に存在する。
FOXP2という遺伝子は言語能力と肺、腸などの発達に関係するといわれているが、この遺伝子は突然変異だとされている。
言語を理解、習得するなどという高度な機能がわずか数万年でできるだろうか?
いつも書くけれど、自分の思いが周囲に影響を与える、とするのか、思念の影響を否定し行動のみが影響をあたえるとするのか、で人生の生き方はかわる。
そして大事なことはどちらを信じていても人生をまっとうできることだ。その意味するところはなんだろう。片方の理論は片方を包含してしまっているじゃないか。
(引用元はトカナ)
そして、分子生物学からも進化論は否定されてしまっている。
なんでも「偶然」で片付けていると、偶然では間に合わないという話が出てきて当然なのだ。
分子生物学に葬られるダーウィンの進化論
今後、進化論を信じている人間は、必死で非合理的な反論を繰り返すことだろう。
それが科学的態度だろうか?