直感

2019/5/20 月曜日

直感

直感は誰にでもあるものだと考えられる。例えば、いちいち歩き方を考えたり、手を伸ばして届くかどうかを考えたりする人はいない。つまり非言語的だが頭脳で処理された結果というものが広い意味での直感ではないだろうか。そうすると、直感は非常に身近なものに感じる。
人は実は7,80%の活動は無意識に行っているという。意識しているものが、頭脳が認識しているすべてだと思うと大きな誤りなのだ。意識や言語を使わずとも脳は考え、答えをだしているのだ。意識至上主義を考え直した時、第六感ともいえる直感の存在が見えてくる。別に霊やハイアーセルフを持ち出さずとも説明がつく現象なのだ。むしろ、そんなものから来るという他力本願を信じていると直感を成長させることはできない。

直感は本能とも違う。本能とは、赤ちゃんがおっぱいを吸うように、あらかじめもって生まれてくるものだ。直感はさまざまな経験から導き出されてくる。
その直感を我々が得る時はいつだろうか?次の3とおりがあるように思われる。

  1. 問題を考え抜いた後にヒラメク
  2. シンクロニシティが起き、意味を悟った
  3. なにか違和感を感じる

いずれにしても言語以外に「弱い感情」として、直感を受け取っている。

ならば、直感の鍛え方はカンタンだ。

  • 十分な知識と意識における思考をする
  • 感情をよく感じること(方法として、笑う、ということがいいと思う)
  • 理性のもたらす感情と本当の感情の区別をする

最後の項目について補足すると、我々はともすれば理性だけで考え、理性がもたらす感情を本当の感情と勘違いしてしまう。理性からくる感情は損得勘定に紐付けられたものが大半である。得だと思えば喜び好きになり、損だと思えば怒り嫌いになる。
しかし、本当の感情とは感動からくる。この感情の弱いものが、直感としてもたらされるように思う。弱い感情は、頭だけでなく、体のあちこちで感じる。
例えば私は胸あたりでいろいろ感じる時は、理性レベルであり意味がないようだ。本当の「胸騒ぎ」は腹の奥底からざわざわしたように感じる。

そして、思いつきは一過性だが、直感は何度もやってくる。それを理性の声でふさがないようにしよう。否定せずに少し試みてみるだけでもいいじゃないか。