チャネリングは自分でやる時代
しかし、めどが見えたので書きます。
チャネリングが有名になった始まりはおそらく「バシャール」。
「ワクワクすることをやろう(見事にexcitingを誤訳)」に多くの人が誤解し、挫折しました。
バシャールが流行る過程で、いろんな宇宙存在とチャネリングする人々が現れました。
バシャールの日本語訳を担当した方の奥さんはバシャールをチャネリングするといいながら、時代を下るとダリル・アンカ「バシャールをチャネリングしているおじさん)との対談をするような人です。この人を非難するつもりはありませんが、似非スピリチュアリストは人を自分に依存させることを職業としているので、(そのためのセミナーすらあります)なにが本当なのかわかりにくくなっているのも事実なのです。
(2012年に巨額の負債をかかえて、つまり多くの人に迷惑をかけて倒産していたのですね。人に教えてもらって知りました。)
バシャールのようなポジティブなことをいう存在以外に、大恐慌、戦争などの予言をしまくるチャネラーなども多数出ました。
しかもどれもまったく悲しいくらいに予言になっていないで、大ハズレ。
9.11テロ以前は地震、戦争がメインの災害でしたが、あれ以降、めっきりテロの予言が増えました。
アカシックレコードを見たはずなのにさっぱり当たらない予言書を書きまくっているゲーリー・ボーネルなんてのもいます。
こんな話もありました。
あるチャネラーが宇宙存在とチャネリングするのだそうです。
宇宙存在は宇宙語で話すので普通の人にはわかりません。だから、「通訳」を雇ってくれ、と。
その通訳はどこで宇宙語を学んだのでしょうね。というツッコミを入れたいところです。
後年、私自身がチャネリングして宇宙存在に出会った時、先生はこう言いました。
「思考の波をこちらもあわせるし、向こうにも合わせてもらうように頼んで」
しばらくがんばっていると、思念が入ってくるのです。
チャネリングの内部の考え方でも「通訳」はいらない、つまり、通訳が必要なチャネラーは力がないチャネラーなのです。
そういう混沌の中、
2000年ごろから「神との対話」で神と直接話しをしたニール・ドナルド・ウォルシュの著作が有名となり、多くの人に感銘を与えました。
しばしばニールが対話したのは神ではない、という中傷を見かけますが、それはニールの神の主張を調べていないな、と思います。
ニールの神は「私が本物の神かどうかは関係ない。話している内容があなたにとって役にたつなら使いなさい」と明言しています。
もし、彼の神が正しいならば言っていることは実用できるはずです。
破産なんかしないはずです。
実際に使えます。
過去の宗教はほとんどが、伝道者が偉そうにしていて、神を言葉と権威で祭りあげることことでなりたっていました。
神の言ったことを正しく告げず、さまざまな自分に都合のよい解釈を加え、偽りの神といっても過言ではないデフォルメした神を祀ってきました。
立証不可能な来世に期待をもたせる、地獄というありもしないもので人を恐喝するという、ひどい手口を使います。
ですから、ここでチャネリングの系譜に「俺がスピリチュアルだ」といわんばかりに周囲をバカにする、シルバー・バーチを祀る一団を私は書かないのです。
(シルバー・バーチを否定しているのではありません。質問者、崇拝者を認めていません。)
こういう動きを見てスピリチュアルは新手の宗教だ、という人もいます。
そういう人に限って、「宗教とはなにか」ということについてはとても原始的な見解しかもっていないようです。
日本にはイージーに神という存在を否定するけれども無学な人が多いように思います。
心は誰にでもあるから、誰もが心をよく知っているわけではありません。
哲学、倫理学、現在の最先端科学を研究している科学者は、みな神についての議論をします。
そういう基礎学力もないのに、神をイージーに否定することはあまりにも原始的です。
三角関数と積分を知らないために弾道の正確な着弾点は計算できない、と言っていることに似ています。
宗教についてはさらに後述します。
バシャールとほぼ同時期に「引き寄せの法則」の家元ともいえる、エスター・ヒックスがチャネリングするエイブラハムが登場してきました。
また、アメリカではA Couse in Miracle(ACM)というキリストにチャネリングしてできたスピリチュアルレッスンがものすごく有名になりました。
ニールを皮切りに、神とチャネリングをする人がポツポツと現れ始めました。
私は今でも覚えていますが、2chにリアルゴッドというニールと同じ神をチャネリングする人が半年ほど書き込みを続けたことすらありました。
チャネリングは徐々に特別な人に頼むものではなくなり始めました。
言い換えると、スピリチュアルな存在の言葉を介する人をあがめる時代ではなくなりました。
しかし、これは大きな回り道であったのかもしれないのです。
600ページをこえるとても分厚い本
今からおよそ4000年前、人は誰もが神を見、声を聞いていたという衝撃的な内容の本です。
それ以降、人は神との対話を忘れ、今再び取り戻そうとしているのです。
スピリチュアルな存在と会話をするために仲介者はもう必要ありません。
そしてこれもニール・ドナルド・ウォルシュが有名ですが、チャネリングが示した道を自らが広め歩み始めました。
チャネリングは垂れ流しの言葉を聞いて驚く見世物ではなく、生き方、信念に変化しはじめたのです。
特に、インディゴチルドレンやワンダラーの存在が知られるようになり2008年ごろから多くの人が、瞑想の中でさまざまな肉体をもたない存在と接触し、情報をもらったりすることが普通になってきたのは事実です。
2011年ごろから、ふたたびバシャールの言っているとおりに世界と人の考え方が変化しているということで、バシャールの声に耳を傾ける人が増えています。
たしかに、昔聞いた時よりは、はるかに理解しやすい時代です。
モンロー研究所のヘミシンクで異世界にチャネリングすることをエンターテイメントとする人々と、素早く卒業し真のチャネラーになられた方も出てこられました。
そして書店には、チャネラーが書いた本が数多く並ぶ時代となりました。
玉石混交ではあります。
悟った「つもり」の人がデビューはすれど、数冊出したら、もうネタが尽きて消えたり、有名人と組んでゴーストラーターに書いてもらい、ご本人は女性タレントのようにふるまう人もでる賑やかな世界となりました。
しばしば、地球のエネルギーが変わったといいますが、このようにチャネリングできる人が増えたという事実(たとえ何とチャネリングしていようが)からすると、否定のしようもありません。
そして2011年5月20日、私自身もチャネラーを先生として 、始めてチャネリングが始まりました。自分のハイアーセルフと話し、ビジョンを与えられることがあります。前世、知らない世界などに誘導されていくこともしばしばです。
必要に応じていろんな存在とチャネリングします。だからといって、チャネリングしている内容すべては到底理解できませんし、安易に答えがもらえるわけではありません。ほとんど意味不明なこともあります。
「思い込みじゃないの」
そうです。多かれ少なかれ、受け取っている自分のバイアスがかかっているのは当然です。
すべてが思い込みと断定してなにか解決するのでしょうか?
自分がどこかで見たものが無意識に記憶されていて再生されている、とします。
それがいいタイミングで自分の問題解決に役立つのなら、素晴らしいことではありませんか?
思い込みであっても役にたつのならば、ない知恵しぼって出てこない能力よりはいいと思っています。
理性には大きな欠点があることをご存知ですか?
理性は自分がおかしいということをチェックできないのです。
しばしば考えて答えが出ないことを延々と「なぜ」と悩み続けて、脳まで壊してしまう人を見ます。
私はうつ病の理由のひとつに、理性の堂々巡りで脳の細胞が破損するということがあるのではないかと思っています。
気持ち(考えること)の切り替えが下手な人はとても多いです。
脳も体と同じで使いすぎると壊れます。
結果、普通の人が聞いて異常だという論理に陥り道を誤る人はいくらでも見かけます。
また行動経済学が立証したように、人間は論理的にベストな道すら選べません。
目先の感情がバイアスをかけるのです。
それでも理性は誤らないといえる人は、それこそ自分を「客観的に」見ることができない人です。
「自分は大丈夫」という人こそがすでにチェック回路が働いていないことを告白しているようなものです。
洗脳の稿にも書きましたが、「俺は大丈夫」と自惚れる人も簡単に洗脳されます。
つっぱる背後には「恐れ」があるのに、認められない弱い人でもあります。
私はチャネリングの力を応用して、カード・リーディングで多くの人の相談に答えています。
その中でかなりの人からいただく言葉に「するどい指摘」というものがあります。
指摘というからには、実はその人はすでにもっていたことなのです。
それが問題解決の鍵だと知り、解決に向かっていくことは素晴らしいことではないでしょうか?
悩んで、考えて、感情的になったことすらある課題が理性を超えたら解決に向かうことは駄目なことでしょうか?
自分の人生上の問題へのアプローチは人生観に関わっています。
目的を達成するためなら手段を選ばない、神でもなんでも使う柔軟性をもち解決するのか、
自分の頭の範囲で理解できることがすべてだとうぬぼれて、プライドを保てる範囲内程度の解決で満足するのか、
の違いです。
残念ですが、人生観は持って生まれたものがあるようで、おいそれとは変わりません。
後者の理性万能主義では意識の拡大は望むべくもありません。
空海が言ったように、経を読み理解して進む速度は加持祈祷という実践を通して進む速度より、はるかにはるかに遅いのです。
しばしばスピリチュアルな本を読むだけは読み、知識は増やすけれどもなにもしない人がいます。
そういう人はスピリチュアルに心を開いているようで、実は後者です。
ブログに読んだり聞いたりしたスピリチュアルな内容や歴史を延々と書き、その人自身の感性が見えないのも後者です。
学者ですらよくいます。
理屈を重ねる人たちはいろんな話の言葉づらを並べて比較してみたりします。
あげくの果てには「どれも似たようなことしか言わない」とか言い出します。
結局、自分の心のどこかに自分の考えることがもっとも優れている、人類最高峰である、といううぬぼれにしがみつきたいのです。
比較宗教学者などに多いですが、評価する観点に心の貧しさが現れます。
自分の考えを手放すということがどうしてもできないようです。
私のチャネリングの先生いわく、「今はちょっとしたことで、誰もがチャネラーになるし、ならざるを得ない」と言っています。
人類が直面するなんらかの大きな変化の前に発揮されている能力なのかも知れません。
ところで、チャネリングしたメッセージを参考にして生きるということは、魂の課題を責任をもって行うということです。
ここで、スピリチュアルはとても厳しい顔を見せはじめるのです。
もし、スピリチュアルというものは、アロマやお茶を飲みながら天使や魔術について談笑し、時々超能力や占いで前世や将来の彼を安直に教えてくれる、でも当たるか当たらないかどうでもいいものだ、とお考えでしたら、真のスピリチュアルの道はまったく違うとお考えください。
そんな20世紀風のスピリチュアルは、一部の古いオカルトマニアや占星術師の間に残っているだけです。
ある占星術師は、お客を前にした時は未来を語るふりをし、占星術が未来をいいあてるかの議論をすれば心理的なものだからと逃げます。
自分でも信じてないのです。
こんな人でも長年やっていれば、占いサイトでは大先生です。
占いでそんなに未来を知りたいのであれば、紫微斗数をオススメします。
初学者でもおよそ人生の傾向は自動的にバッチリ出ます。
怪しげな先生に頼るより、日曜日の午後に数時間、自分でやればよいのです。
本気で未来に悩んでいるならば、しょぼい占い方法論とまともな人生経験もない占い師のところに行くよりも、苦労した飲み屋のおかみ、お坊さんに人生相談したほうがまだマシというものです。
彼らは人生の流れというものを理解しているから的確なのです。
怪しげな古い方法論よりも人生で苦労した人の考え方のほうが優れているということはおもしろくありませんか?
現代スピリチュアルから見たさまざまな宗教の開祖はスピリチュアリストです。
イエス・キリストの荒野の40日から始まった磔刑への道のりも、仏陀の命をかけた菩提樹の下の瞑想もすべてはとても厳しい真のスピリチュアルの道です。
日本でも大本教の開祖の出口ナオは赤貧(ど外れた貧乏)の中でたいへんな苦労をしてきました。金光教の開祖の赤沢文治氏は大病を経験しました。
どの宗教の開祖もたいへんな人生経験をしていることは、興味深いことです。
イエスは布教の期間(といっても分析して1年から3年半の出来事だったとわかっています)神への信頼が揺らぐことはありませんでした。彼は神の力が具現化することをまったく疑わないすぐれたヒーラーでもありました。だからこそ、水上も歩けたし、病人も癒せたのです。
その彼ですら、磔刑された時、思わず「父よ、父よ、私をお見捨てですか」と疑問をもってしまったくらい厳しい道です。
一方、悟りを開いた仏陀はそのまま涅槃に入ることもできました。当時の修行僧の大半はそうしたことでしょう。
ところが彼は長い熱い道のりを歩いて、鹿野苑で元の仲間と自分の悟りを分かち合いました。
そして残りの人生をどんな人とも対話していきました。
そういう愛の道でもあります。
一言に「神」といってもふたとおりを語っていることがあることを指摘しておきます。
ひとつはこの世を作った原理、いわく言いがたい存在、サムシング・グレート(something great)である神。
もうひとつは、大日如来、シヴァ神、お稲荷さん、ガネーシャなどの人の意識が作りだした神。
どちらの神の話をしているのかは、区別してください。そうすると、神への理解がしやすくなります。
スピリチュアルでいう神は前者です。
後者の神はそれぞれの宗教で実在します。
前者の神はスピリチュアルの世界では愛が属性であり、人により願いを叶えたり、叶えなかったりというようなエコヒイキはやらない、と考えています。
我々のアプローチの仕方や考え方により叶ったり、叶わなかったりするにすぎません。
宗教の多くは後者の神との仲介者であり、信者は恐れ多くて彼らの神との対話は許されません。聖職者という仲介者が人によってはアコギな真似をしたり、願いが叶うことについて「俺の作法に従え」とします。
ほとんどの宗教は堕落への道を進みました。
これは仕方がないことです。どんな宗教でも、いい教えを広めようと言い出した途端に営業マンが勢力を伸ばします。
ちょっと考えてみてください。
その宗教の教えを心から信じて暮らしている人と、
毎週、日曜日に信者で集まる会合に出席する人と
どちらが宗教では評価されるか。
人の世界では実はどんな宗教の教えよりも強力な、人間関係というものが存在し、それが宗教を腐敗させるということを誰も指摘しませんでした。
気づいた人は隠遁しました。
しかし、現代スピリチュアルでは個々人が直接、神と対話するのです。もう、神との仲介者も仲間の信者も必要としません。
表題どおり「チャネリング(神との対話)は自分でやる時代」なのです。
現代スピリチュアルは古い宗教を宗教というのであれば、宗教ではありません。
誰もあなたを拘束しません。
あなたには罪がある、あなたは生まれながらに汚れている、すぐに地獄に堕ちる、楽しいことをするな、おいしいものを食べるな、異教徒を殺せ、集まれ、一般人か偉い人か区別がある、というような倫理の押し付けをしません。
それは人の意識が創りだした神に属する、と現代スピリチュアルの世界では考えています。
つまり、今のスピリチュアルでは、ひとりひとりのマイゴッド(私の神)なのです。
誰もが神の一部であり、神に無条件に愛されていて当然だ、から考えは始まります。
個人的にはこれこそが、アクエリアスの時代の結果だったと考えています。
自分がなにを宇宙に問いたいのかはっきり定め、自分の微細な感覚を信じ、理性の抵抗である小うるさい評価に耳をふさぎ、深く内面に入っていくとチャネリングが始まります。
人類全体がスピリチュアルな道へ容易に入っていけるようになっていることは、バシャールのメッセージへの理解度、チャネラーの増加以外に、マインド・クラフトで重視しているラジオニクスの操作ができる人間がとても増えていることでわかります。
10年以上前は10人のうちラジオニクスを扱える人間は一人くらいではないかと言われていました。今は逆転とまではいいませんが、半数以上の人が少しの訓練で反応を得ることができるようになってきているのです。古いエゴの強い団塊の世代の人にはいまでも難しいです。
チャネリングに話を戻します。
もし、目に見えない気になる存在、声、目の隅で変な物を見たり、お香のようないい匂い、バラの香り、声なき声、小さな声が聞こえたら、心を開いてみてください。
あなただけに起きていることではないですし、心を開くことが、見えないけれどあなたをいつも見て助けようとしている存在とのチャネリング(会話)への第一歩です。
宇宙はあなたの人生よりも長い忍耐力がありますから、何度でも何百回、何万回でも理解できるまでメッセージを受け取るチャンスをあなたに与えます。
あなたはそれに気づけばいいだけなのです。
とはいえ、最初からひとりでできるわけでもないことは、私も自分の体験から知っています。
最初は先生についたりするのでよいのです。でも、最終的には自分で「メッセージを取る」ことを目指し、何者にも依存しないようにしましょう!!!
偉そうなことを長々と言っていますが、私も道半場です。学び、思い出すことはこれからも生ある限り続くことでしょう。