代替療法技術の使い方

2019/5/20 月曜日

Mind Craftでは代替療法で使われれる個々の技術を深く掘り下げて研究してきました。
それは新しく興味を持ち始めた人には、とっつきが悪くわかりにくいとも思います。
そこで巷の分類にならって、応用方法を一緒に考えてみたいと思います。
これが巷でヒーリング、代替療法のサービスを受ける基礎知識になれば幸いです。

場の調整

「場」というものを一応、特定の波動の及ぶ範囲だとします。
それは思考からにじみ出てきます。よくいう「感じのいい人」「迫力のある人」「オーラのある人」などですね。

自分の中のネガティブ要素をなくし、すっと自分の本質を外に出せるようにする方法は「クレンジング」という言葉で知られています。

どこからともなく流行しはじめてなんの定義もない「ブロック」という言葉は「自分の中のこだわり」や「トラウマ」をさしているようです。ブロックを取り去ることもクレンジングです。

ちなみにトラウマは巷では実在するかのように常識的に扱われていますが、アドラー心理学では存在しません。トラウマは実は自分の考え方でできあがったものだというのがアドラー心理学での考え方です。

ブロックやトラウマの除去は思考の話しですから機械でできるものではありません。
ましてや誰かがやってくれるものでもありません。ホ・オポノポノセドナメソッドEFTやカウンセリングなどがありますが、ご自分の決心が必要です。
なぜならば、どのクレンジングも最終的には「こだわらない」ことにより、こだわっていることから感情エネルギーを取り去ることを目的としているからです。
遠隔で本人の自覚のない状態でブロックを取るなんて、ありえない話です。

個人の場の調整でとても大事なことは、今、あなたがいる環境を認めてしまうことです。
「もっとこうなれば」という欲はあっていいのです。人は欲をもつものですし、それが生きるための原動力です。

が、「もっと」が先に来る前に、今の状態を受け入れることです。自分がいる環境を否定しないことが、次へのステップです。

なにを当たり前な、というかも知れません。
いつでもどこでもケータイを見つめ心ここにあらずの人に、自分を取り巻く今が見えているでしょうか。
電車が来たことすら認識が遅れているではないですか。

にもかかわらず自分は悪くない、周りが悪い、と考える人がいます。
このように自分と周囲を切り離して考えている限り、スピリチュアルの道は見えないでしょう。
そこで「場の調整」に挑んでも、自分の心はここになく、自分ではなく周囲に変わってほしいと思っていても、なにも変えようがないのです。

残念ながら「自分を変える必要はない」という考えで自分を縛っている人は、自分の思う答えが最初からあるため、そういってくれる人を求めてさまよいます。

 

場を調整するということは、単に波動をあげることではなく、そのオーナーであるあなたがクレンジングなどをし、結果として波動があがることをいいます。

要約すると「他人に助けてもらえることはできますが、やってもらうものではありません。あなたの心のどこかが変わらなければ、あなたの波動は変わりません。」

体の調和を取り戻す

心の問題からのことが多いので、上のクリアにしていく作業と対症療法的に体のアンバランスを直していくことです。
バイオサーキットやパワーストーンでエネルギーを与えていくという作業はいいことでしょう。
整体、鍼灸やアーユールベーダは不調和を治すためにはとてもよい方法です。

しかし、注意点をふたつあげます。

ひとつはチャクラについてうんぬんするヒーラーがよくいますが、残念ながら経験的にチャクラという概念は代替医療の世界ではもっとも弱い概念です。
瞑想などで精神を集中するにはよく使われる体系ですが、寡聞にしてチャクラの調整で症状の改善が見られる、ガンを直した、頭痛を直したなどの治療結果は聞いたことがありません。
故 井村宏次先生は気の研究で知られていますが、チャクラの研究をした時に「もっとも弱い」と記述されています。

カラダでもっとも不思議なことは、さまざまな施術にカラダが反応することです。
この場合は先程の心の問題とは異なり、自分が気づかないのにカラダがさまざまな反応をします。

おそらく、この「思念については変化は意識される。カラダについては変化は意識されないことがある」ということがさまざまな認識の混乱を呼び起こしているのでしょう。

カラダについては、波動を調整していく、という方法がさまざまな方法で行われています。
波動測定器(ラジオニクス)やその他の機材も使われています。しかし、ラジオニクス単体では波動を調整することは至難の技です。多くの場合、鍼灸やアーユールベーダの考え方を取り入れて、それを調整するという手法を取ります。微細なレベルになると概念は似てきます。
だからこそ、人体の知識は必須です。

例えば、頭痛がのぼせで生じている場合、頭にあがった気を丹田に下げていくということは波動調整で可能です。この時、経絡や丹田といった概念を扱っていることに注目してください。
専門知識をもたないと、愁訴の原因にいきあたらず対症療法になってしまいます。ちょっと鍼灸の本をかじった程度の治療者が波動を調整するというのは、とても危険です。

心の調整

瞑想、カウンセリングチャネリングなどで行います。
自分のストレスが、なにかをやってもらえば自然に消えるということはありえません。あなた自身もしくは環境の変化を必要とします。なにかで消してもらったとしても、自分が変わらない限り、必ず再発します。
ラクができると思わないでください。ラクな道をささやくヒーラーは偽物です。

なぜならば、自分自身を変えるためには自分の思考の背後にある思考を変える必要があります。例えば、なにごとも「どうせ私には」とネガティブに考えるクセのついている人は、その信念を変える必要があります。これは自分を見つめるしか変えようがないのです。
そもそも知らない間にヒーラーなどに自分の思考を「変えられていた」ら、気持ち悪くないですか?

最終的には、いつも笑っていられる状態にたどり着くのが心の調整のゴールではないでしょうか。

スピリチュアルではありませんが、心理学を使ったと称する「ただ話を聞くだけのカウンセラー」に過剰な期待をしないでください。
心理学はいまだに心の中をまったく解明しているわけではないのです。(反論があれば喜んでお待ちします)
対症療法的にいろいろな流派がいろんな主張のもとやっており、多くの手法は催眠術、シャーマニズム、スピリチュアルから持ち込んでいます。意味を取り違えて使っているものもあり、世間で認知されているほどに効果はありません。
最大の難点は、不可知、言葉や理屈では知り得ない世界が心にはあるのですが、それを理解することは心理学では不可能だからです。
精神科医と心理学者はまったくジャンルが違うことを忘れないでください。心理学者、カウンセラーは医師ではありません。

美しくなる

美しさにはふたとおりあります。テレビに出てくる女優やCMタレントのような美しさ。もうひとつは赤ちゃんや見事にお年をお取りになって、ゆっくる微笑んでおられる老人。

人はまったく違うそれぞれに美しさを見出します。
実は前者は、流行に条件付けられた反応なのです。信じられないでしょうが、日本でも平安時代や中国も楊貴妃が生きていた唐の時代は太っていることが美の条件のひとつだったのです。

後者は普遍的なものがあります。この美しさは見た目ではなく、見た人が受け入れられているというところから美を感じるのです。マザーテレサや働き抜いた老婆の手に美しさを我々が感じるのは、私たちを受け入れてくれることを深いところで知るからです。
つまり年を取っても関係ない美というものは、心の調整の結果がもたらすものです。

要約すると、「やるべきことをやり、自分を好きであることが、自分をもっとも美しく輝かせます。整形などは、その自分から目を背けた他人の評価の上になりたっている行為なのです。」

能力開発

勉強のような長い時間を要するものと、スポーツの試合のような今すぐの効果を狙うものがあります。
いずれでもライト・アンド・サウンドマシンで脳波を変え、成功イメージを自分に焼き付ける方法がてっとり速い方法です。
もうひとつは能力を開発する時に考えてしまうネガティブ要素を「心の調整」で取り去ることです。
また、「願望達成」方法により自分のあり方を変えてしまうという方法もあります。

ただし「◯◯の能力を伸ばしたい」と思ったとしても、◯◯の能力について本当はあなたには才能がないかも知れません。それでも、のばそうと努力することはなんら非難されるものではないですし、自分の幅が広がることです。

伸びる自分の本当の才能というものを外に向かって探しはじめると終わりのない自分探しを続けることになります。

自分の本当の才能こそは自分のウチを見て、自分の過去を振り返ればわかることです。あなたの魂は人生の選択、選択においてもっとも輝ける方向を示唆しようとしてきているはずです。
自分の才能がわからない人は、自分史を書いてみるとよいでしょう。
それを見るだけでもありそうな分野は大幅に絞れます。ゲームが好き、野球が好き、という意識の表面上の感心よりも、ついついボランティアに入ってしまっていた、ということのほうが、あなたの才能を的確に指し示しているのです。

要約すると、「集中してやるために機械の力を借りることはできます。才能の有無は自分の過去を振り返ればわかります。才能はあなたの過去の修行の成果、魂の方向をさしています。なにをするべきか、一度、自分と相談してみましょう。」

detox (デトックス)

大きな意味でいうとスピリチュアルはデトックスです。
新たなことを覚えるよりも、持ってしまったものを見つめなおし、新しい観点から捨て去っていくのですから。
血液浄化装置やマグネットのように物理的にデトックスする方法もあれば、今、あれもこれも持ってしまい、これ以上持てないのに、なおも欲しがる状態から本当に整理して必要なものだけ残すというデトックスもあるのです。
このデトックスを行うと肉体も痩せていきます。不思議ですね。

要約すると、「買う、学ぶ、経験するというインプットも大事ですが、忘れる、捨て去る、空ける、という排出も大事です」

自分を知る、自分を変える

延々とよくいわれるテーマごとに触れてみたのは、スピリチュアルの道のどれもが実は自分が本来の自分に戻ることを目的とした手段だということに気づいていただきたかったからです。
それは意識から創りだされるものではありません。あなたの中に埋まっています。
それゆえ、自分が主体にならねばどうしようもないのです。

しばしば誤解されていますが、病院はあなたを治すところではありません。例外は外科くらいで、あとはあなたの自然治癒力を助ける場です。私たちは子供のころから「お医者さんに治してもらう」といわれていますから、肉体がロボットであり、修理工場に持ち込む気分で病院に行っていないでしょうか?
そんな病院はありません。よくご自分の経験を思い出してください。

同様に代替医療やスピリチュアルでサービスを受けることは、病院に似ています。
あなたの心の問題こそが解決の鍵であり、それが変わらない限り、現実は変わりません。波動などをいじって強引に変えたところで、やがて元通りになります。

病院の外科と同等のものは、スピリチュアルの世界では精神科医に行くことになります。
なぜならば、精神科医は脳の化学物質を変化させる薬を出せる存在だからです。ご存知のように劇的な変化を体験します。しかし、根本の問題が消えたわけではないところが悩ましいところです。

たとえば、子供のころから親に反発していた人が、「もうそういうのはよくないな。温和な人でいよう」としたとします。しかし、誰かに頭ごなしに怒鳴られると、そんな理性での調整など吹っ飛び、怒りがほとばしります。いわゆる「地雷を踏んだ」という状態ですが、親への反発というものを見つめて、怒りのエネルギーを取り去らない限り、心はかわりません。

体の健康を維持するために、ある程度の運動が必要であることと同様に、心の健康を維持するためには自分の内面を見つめることは必要なのです。
ヒーリングを施術する人自体が、どこまで理解しているかわかりませんが、ヒーラーに依存しているようでは、自分の心の中を見つめているとはいえないでしょう。

仏陀が亡くなる(入寂)する前に言い残した言葉があります。

 

自燈明、法燈明

「自分自身を明かりにして、自分を照らして行きなさい。真理を明かりにして、自分を照らして行きなさい。」

どれだけ素晴らしい人がいても、その人に依存することは自分をゴールには導かないのです。

仏陀のこの言葉により、仏教はキリスト教のような血の歴史を歩まなかったと私は思っています。