チャネリングを学ぶ
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当サイトに「チャネリングは自分でやる時代」という記事があります。
おかげさまで、小難しい内容にもかかわらず人気記事のひとつです。
それだけ、チャネリングに興味のある方、習っておられる方も多いのですね。
最初にどこかで今、チャネリングを習っている方について。
先日、こんな話をいただきました。仮にIさんとします。
Iさんは、とあるチャネリングの先生に3年間習ってきたそうです。
私 「で、どのようにチャネリングをするのですか?」
I 「場を浄化し、高い波動を求め、ハイアーセルフに近づくのです」
私 「他の存在のメッセージを取ることはしませんか?」
I 「それは先生だけができて、私達にはできないのです」
私 「なぜですか?」
I 「わかりません。先生は自分の内面を見ろ、そのためにもっと教室にかよえといいます」
私 「死神とコンタクトするということについてどう思いますか?」
I 「そんなことできるのですか」
私 「私の師匠は、いろんな波動を知らないと未知の存在に出会った時その主張に騙されるし、
死神の知恵はすごいよ、といいますよ。
いろんな物質、存在のバイブレーションを感じていくといろんな存在とコンタクトが可能になります。
いや、チャネラーとしては、ならなきゃ。」
I 「先生に、他の人の前でチャネリングしろ、といわれたことがあって、緊張して緊張してダメでした」
私「あっはっは、チャネリングなんて道を歩いていてもやろうと思えばできるし、
別に場を浄化なんかしなくてもいろんな存在があるし、
突然、メッセージ(いや、意識の塊)が降ってくることもありますよ。
私は私のスタイルがありますねー。」
I 「そんな楽しいものなのですか?」
私 「もちろん! だって知らないこと教えてもらうんですよ?
ひとつお聞きしたいのですが、なんのためにチャネリングしたいのですか?」
I 「実は動物と話したくて。。。」
私「それはあまり目的にならないですよ。簡単すぎて。できます。
むしろ自分の生き方にどう活かすか、のほうがはるかに難しいし興味深いし意味があると私は思います。
チャネリングを教室で学ぶのはとてもおもしろいですよ。エネルギー遊びみたいなところがありますから。」
I 「それなら、私も習ってみたいです。そうですよね、マインド・クラフトの記事だともっとすごい世界ですよね」
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このやり取りにはチャネリングを学ぶにあたって大事なことがいくつか出てきています。
- チャネリングする心構え
- 「波動」は高ければいいというものではない
- さまざまな霊的存在がある。絶対はない。
- 先生のレベルと教え方
ともすれば、こういう世界に茶道、華道、ピアノなど芸事を習う時の「師匠と弟子」という関係を持ち込もうとする人がいます。
先生でも生徒でもいます。
生徒はマニアになると自分が先生のマネをして他人に教え始めます。
典型的な自己投影です。
自分は自分です。チャネリングは自分の人生を助ける道具であるべきで、ごくごく稀な人を除き、道具を人生にすべきではないというのが私の考えです。
チャネリングをする方法は本当に多彩です。瞑想、ヘミシンク、霊媒、ヒプノ、カードなどなどあげればキリがありません。
エンジェルが見せる番号で言いたいことを伝えるという本もあります。
スピリチュアルな世界はいろんな方法で私達と会話する機会を待っているのです。
ですから、価値観の強制、方法の強制、などがある場合はセカンドオピニオンを取るつもりで別のチャネリング養成セミナーを受けてみるべきです。
なにしろ95%はダメな人がやってる世界ですから、あなたにとっての正解にあたるのはなんらかの導きが必要です。
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次に、今はまったくできないけれども、ぜひチャネリングを学びたい場合。
最初にダメなものを挙げます。
- メール講座
- スカイプなどのビデオ講座
- 特定の神の名前ばかりだす人
インターネットの通信を利用した方法はチャネリングができないとはいいませんが、非常に浅いレベルであって、シニアな人が書いた本やDVDで学ぶほうがマシです。(多くが霊的存在と相談しながら書かれている点もおもしろいです)
私は、遠隔で教える方法を取るチャネラーを信用していません。それはチャネリングを教えている間、先生として大事なことが、対面でないかぎり不可能だからです。(なにかは書きません)
力のない自称先生に頼るくらいなら、本による独学のほうがマシです。
それで隠れていた能力が目覚めた人は多数います。
人に教えるのではなく、自分の人生を改善したいのであればそれでも効果があります。
が、私の場合は自分のエゴの錯覚なのか、本当にエネルギーを感じているのかの区別について、非常に苦労しました。
あなたも見かけませんか?
ネットによくある、ちょっと神社に行っただけで、神と会話したと思い込める人、ちょっと気がしただけで「霊がぁ」と簡単に言ってしまう、一度いっただけの神社の「神のエネルギーを伝授します」というトンでもない「似非ヒーラー」(闇に取り込まれている可能性大です。)
うかうかすると、思い込みの世界に落ち込むのです。
勘違い先生を頼っても、その人のエゴワールドに巻き込まれるだけで、もちろんさまざまな正しい霊とコミュニケーションできるチャネラーにはなれません。
考えてもみてください。
自分さえよければいい、自分はエライから周囲は私に従うべきだ、肩書が大事、お金で買えないものはない、人生は弱肉強食。。。
自分のエゴを満たすことを第一に考えている修行中の寂しい魂の人が、精妙なエネルギーを感受するなんてありえるでしょうか?
一方で自分が嫌いな人もチャネリングは難しいです。
自分の能力のなさ、努力できない根気のなさ、他人との比較で落ち込む、見栄をはりたいけどさっぱりうまくいかない、などなどの思いを抱えている人はチャネリングは難しいです。
なぜならば、上にあげた例はすべて他人の視線が基準だからです。
特別な能力を持っていると錯覚したエリート意識も、自分が嫌いな自分を特別に卑下する意識も、根は同じなのです。
人間界のルールから一歩も出ることがない。
それでチャネリングできるんでしょうか?
人は一人で生まれて一人で死にます。
その意味をよくよく考えてください。
わかりやすいように極論を書いてみましたが、チャネラーになるということは、生き方に関係します。
といろいろ書きましたが、大昔読んだ魔法の本に
「準備ができれば師は現れる」
という言葉がありました。
真実かもしれません。
大きな本屋で気になるチャネリングの入門書を見てみるのもよい方法です。
そういう人のワークショップなどで、新たに大事な人と知り合うということはありますから。
いろんな先生のホームページを見て感じてみてください。
その感覚は意外にあたってます。
ほとんどのサイトが綺麗だったりふわふわしていても、浅い感じの実感に驚かれるのではないでしょうか。
文字でいくら利便性、安易さを語っていても、ご自分の感覚を大事にしてください。
そして、最後に一言
「どれほど偉いと思える先生に会っても依存してはいけません。
あなたはご自分の人生を生きていくしかなく、チャネリングはよりよく生きていくための道具なのです。」
追記:
さて、私はこの先生以外にも陰陽師や占い師のところに時々、おうかがいします。
どの方も、半生や実力を見て私は力があると思っているからこそ、時々、話を聞きに行きます。
しかし、どの先生もインターネットの感想ではボロクソに書いている意見もあります。
これはなぜでしょうか?
説明しておきたいと思います。
一言でいえば「スピリチュアルに対する認識のレベルの違い」だと思います。
ボロクソに書いている人は、チャネリングも陰陽師も占い師も全部やり方が違う程度で「占い」なんです。
ですから霊能力者やチャネラーにもヘーキで「占ってください」と言ってしまって、その失礼さにすら気づかない。
さらに未来や生き方について、自分であまり考えたことがない。
不思議なことを「エンタメ」したいだけ。
普通に生活してちょっとスピリチュアルな世界に興味をもった人は
「未来は一本道で、占い師などはそれを教えてくれる。」
一本道のはずなのに、
「気に入った男性とおつきあいできる恋愛成就で人生を変える方法を教えてくれる。」
そして
「悩みはなくなる」
「でも数千円だからたいしたことない。どこかにはすごい人がいて高額だけど人生をかえてくれる」
ものすごく矛盾しているのですが、気づくほど深く考えていないのが普通でしょう。
いつもお話ししていますが、世の中に対する認識の仕方が小学生のころからほとんど進歩していないのが普通の人です。
バカにしているのではありません。
世間で言われている価値感を鵜呑みにしないで自分の内面を見つめる、魂を感じるという訓練をするチャンスが普通はないから当たり前です。
そこそこいい子で無難な人生である人は自己の内面をじっと見つめるなんてことをする必要性を感じないでしょう。正解は自分の外にある、と考えることは試験でいじめられた経験をもつ人にとっては、ごくごく当たり前です。
そしてあまりにもイージーさをうたうスピリチュアルな本、サイトが氾濫しています。
作っている人々の本音は「売れればいい」
買い手の普通の人の本音は、ごく普通の商品を買うように
「カネ払ったんだから、私の思うように人生変えてよね。
少なくとも褒めちぎって私のエゴを満足させて、楽しませてほしい」
と考えることは責められません。
本当は
「未来は決まっておらず、選択により変わる。」
「気に入った男性とつきあったとしても、そいつがDV野郎かつアブナイ奴で不幸のどん底に叩き込まれる、というように目先の幸福が新たな不幸であることもある。」
「目先のエゴによる願望が正しいと思い込む心根こそが問題」
「スピリチュアルな教えで価値あるものは、別の見方、感じ方」
「払ったオカネが生きるも死ぬも、本人が受け取ったものによる」
なのです。
だからむしろエゴ丸出しの売り手の表面的な優しさ、場当たり的な肯定、どうでもいい助言に癒やされた気がするのです。
上にあげた「本当は」のひとつを取っても、説明するには数時間はかかります。
浅い認識にあわせて極めて限られた時間で、初心者に納得してもらうのはほぼ不可能です。
だから話がかみ合わないし、初心者はそういう本当の先生のところに行くべきではないのです。
また多くの初心者が中傷するセリフとしてあげるのが「聞いたことに答えてくれない」です。
なにを聞いたか絶対に書いていないところがおもしろい点です。
「私に金運ありますか?」「私の将来どうなりますか?」「職場のお局が怖いからなんとかして」「カレシと結ばれますか?」「嫌いなあの女を追い払ってください」などと聞くべきでない質問をしてしまい、はぐらかされて、逆ギレしているのが真相でしょう。
誤解を恐れずに例えるならば、小学生が大学院を訪問して「聞いたことに答えてくれない」と言っているようなものです。
スピリチュアルの先生は、学校と同じようにその人の成長の度合いにより適合するしないがあります。
ある程度は自分を見つめる、少しスピリチュアルな本を読んで考えてみるなどしていかれたほうがよいと思います。