療法の比較
代替療法に使う製品を並べているせいもあって、よく次のような質問をもらいます。
「Aという療法とBという療法と、どちらがイイですか?」
「Cという療法で私の症状は治りますか?」
この質問が意味をなさない理由を4つあげます。
代替療法とかヒーリングを志す人は忘れないでほしいと思います。(今日はエラそうに書かせていただきます。)
理由1.あらゆる療法は自己治癒力のヘルプにすぎない
子供のころから「お医者さんに治してもらう」というすり込みがなされている我々は、病気を故障だと思っています。
でも、違います。
「病は気から」というように、さみしい気持ちの人はかまってもらいたくて病気になるし、身体が負荷を超えると病気になる。
風邪をひきがちな人には疲労していたり、ストレスをかかえている人が多い。
同じ病原菌にさらされていても、病気になるならないを「元気だから」という意味をなさない理由で納得したつもりになってはなにも解決していません。
風邪をひくのを「自己管理がなっていない」というのも風邪についてなにもわかっていない愚かな考えです。
病気とは身体の故障ではなく、不調和です。
それを調和状態に戻すのは最終的に自己治癒力以外にはありません。(外科を除く)
身体はすべてを知っています。
あなたがなにを考えているかにかかわらず、体には叡智が宿っています。
生体は生まれ落ちてから生命を維持するという重大なミッションを負っています。我々の意識はその体にのっかって、あーでもない、こーでもない、と言っているに過ぎません。
怪我をしたら、どう皮膚を修復したらいいのか、いつまで皮膚を再生したら終りであるかを体は知っています。(驚くべきことではないですか?)
病原菌が体内に入ってきたら、病原菌と自分の身体の組織の違いを知っています。仮に時々、誤動作するとしても。
意識で無意識がやっている「生命を維持する」というミッションを越えられると考えているのであれば、大きな錯覚です。それはムリです。
外科手術と感染症をのぞく、あらゆる治療は自己治癒力を助けるにすぎません。
つまり「治してもらう」という言葉は間違っているのです。
「自分の治癒を手伝ってもらう」というのが正確な言い方です。
その不調和を取り除き、自己治癒力を妨げない、強化する方法は千差万別です。
どんな療法でも適用する治療家が適切なものを選ばなければ、意味はないのです。
理由2.生体には個性がある
病院の投薬が、ある人には効くし、ある人には効きません。
効く量もさまざまです。
これは症状に対して機械的な投薬というものが大多数に対する効果を狙った確率によるものであり、個別の人を個別に捕らえない限界です。
東洋医学では風邪をひいてても処方する薬は理由、体力、性別、時期により異なります。
それは原因を見ようとするためで、「悪い」とされる症状を消すことをよしとしていないからです。症状は「反応」として理解されるだけです。もちろん、反応がきびしい場合には緩和する試みをするわけですが。
西洋医学と東洋医学のどちらが有効かはともかく、この症状にはこれ、という万能薬や万能の治療は存在しないのは事実です。
葛根湯を風邪薬だと考えているようでは、この違いはわかりません。
理由3.治るとは症状が消えればいいのか?
肩が凝る、じゃぁ、もみほぐして柔らかくする。さらにうっ血して凝り症状はすすむ。
風邪で熱がでた、じゃぁ解熱剤を飲む。治癒は進まないし、おかしな方向にすすむ。
どちらもどんどん体を悪くしていきます。
なぜ肩が凝るのでしょうか? 姿勢が悪いのか、緊張気味な性格ゆえのストレスなのか、ひょっとして内臓疾患なのか。他の原因で狂った身体のバランスの悪さを補えば消えるのか。
それを解決せずに揉みほぐしたから15分1000円ください、というのが治療家でしょうか?
風邪なのに「悪いものだ」として休まない、サラリーマンの唯一の資本の体を乱暴に扱って、壊れてしまったら「俺の出世、生活はどうなる?」って愚かな結果に嘆いている人は多数います。
テレビ番組で脅しているような内容は大半がこれです。
「治す」という行為は症状の原因をつきとめ、適切な治療を施す、治療家の腕にかかっていることであり、治療方法にかかっているものではありません。
故 間中博士が、金紙、銀紙を使ったり、ツボを描いた人体図を使ったり、さまざまな方法で劇的な治療結果をだしたことも、個々の治療方法が素晴らしかったわけではありません。
理由4.代替治療家はなにを見ているのか?
すばらしかったのは、患者さん個々の生体エネルギーのゆがみを観察する力だったのです。ゆがみを戻すことができるならば、なにを使っても治ります。
それを理解せずに形だけ、「こういう時にはここに金紙」と盲目的にマネする人が後を絶ちません。
鍼灸でいう経絡も、風水でいう龍脈も、いつの世代でもわずかながら見える人はいます。ただ、あまりにも個人芸なので、普通の人にもなんとかわからないかということでいろいろな複雑な方法論が編み出されたのです。
逆に理論を唱えまくっている人は要注意です。
複雑な理論の代替療法は、たいていうまく機能しません。
体の不調和を見極め、修正する方法を会得することを目指さねば、いつまでたっても一流の治療家にはなりません。
そんなことも知らないで方法論だけに固執する「家元」が多数います。
多くのたいしたことない治療家が、「あれも治った」「これも治った」効果を誇しますが、治らなかった例については口を閉ざします。
一流の治療家は治らなかった例をなぜか?と考えます。
業界では治癒を誇ることは、下品ですが「人前でぶっこく壮大なオナニー」とすら揶揄されています。
違いは患者としてのあなたもよく知っておいてください。
優れた治療家はポケットに療法はたくさんもっていて、見立てにより様々な方法を取り出します。
医師は三分間医療と揶揄されながらも、毎日、70人くらいの患者を見るのが普通です。
数多くの経験値から、確率で治すことには長けています。
代替療法家はせいぜい一日に5-10人が精一杯でしょう。それだけその人を丁寧に見るということこそが医師との差別化であり、確率で考えるのは違うのではないでしょうか。
ご参考まで。
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