よみがえる記憶
食べ物から記憶がよみがえるというと、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」という小説が有名だ。ふと口にした紅茶に浸したマドレーヌの味から、記憶が展開していく(あまりおもしろい小説だとは思わなかった)。
「そんなこともあるかもね。」とは思っていたが、昨晩、俺も同じような衝撃的な体験をしてしまった。
例によって少し酔っ払って帰宅したら(この間の牛丼といい、俺はどうも酔っ払っていないと衝撃的な内部体験はしないのかも知れない)、友人から紀州の梅干が届いていた。ご自宅て紫蘇と塩だけで漬けた、混じりけない100%本物の梅干である。
ひとつつまんで食べてみた。ぷんと香る紫蘇の強い香りが、一気に俺を40年前の過去に連れていった。
祖母の家のタイル張りの台所の洗い場。その下に梅干をつけた壷があった。薄暗い中でひとつまみして、食べる。真夏の真っ盛りだが、伝統的なひさしの長い日本家屋の中はそんなに暑くはない。勝手口から見える庭は雑草が高く茂っている。
夕方になるとホタルが見えたり、線香花火をし、眠くなれば蚊帳の中の布団に匍匐前進して潜り込んだものだった。
突然よみがえった風景、忘れていた祖母の記憶に、どうしようもないなつかしさを感じ涙がこぼれた。
梅干一個で泣くこともあるのだな。
週末は白いご飯にのっけて食べよ。
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