奇跡のコース
A Course in Miracles(奇跡のコース)
数年前からスピリチュアル系の本を読んでいると、「奇跡のコース」にも書いてあるとおり、とか "A Course in Miracles"(略してACIM)によれば、という記述がしょっちゅうでてきます。
ようやく日本語訳が販売され始めましたね。
ヘレン・シューマン(Helen Schucman)とウィリアム・セトフォード(William Thetford)にイエスの霊が1965年10月から1972年9月にかけて口述筆記させたテキストである。三部に別れ、622ページのテキスト、478ページの生徒用ワークブック、88ページの教師用から構成される。レッスンは365あり、一日1レッスンで一年で終わる。
内容はキリスト教徒を対象にしているが、自らを頼り誰でも奇跡は起こせる、自分と神は本当は全く同じだと気づき、神に委ねれば、奇跡が次から次へと起こるのもごく当たり前になる、と神が教会にいる伝統的キリスト教からすると、相当に違う内容をイエス自身が語るものである。
おもしろいことに、複数のバージョンが存在する。最初のオリジナルは(Urtext版と呼ばれる)、ヘレンとビルの個人的な話とキリストの霊によるコメントが大量にあった。その個人的な話が削除され、彼らがかなり訂正し、文章が難しくなったものが公表された。これをstandard版という。
standard版は、ヒュー・リン・ケーシー(Hugh Lynn Cayce:あのエドガー・ケーシーの息子)に渡り、彼が霊的な観点から注釈をいれたバージョンができた。これをケーシー版という。このバージョンを出版社が訴えたが、ケーシーはまったく営利を目的としていなかったため、2003年10月にニューヨーク州の地方裁判所でこのテキストの著作権が無効となった(判決は確定している。)
オリジナルのUrtextはそんなにむつかしい文章でもなく、力強いものであると評判だが、本来、流通していないハズのものである。(が、Googleで検索すれば簡単に見つかる。)
このテキストも、重要な示唆をしている。宗教は人類にとっての役割を終えつつあるのではないだろうか? 過去の宗教は人がいて神がいてその間に聖職者がいた。我々一般の人間は神と会話するほど優れた存在ではなく、特別な人(聖職者)だけが神と会話できる。だから特別な人が神に聞いたことを守りなさい、守らないと地獄で処罰されますよ、という理論だった。(もちろん「聖職者」は悪人なんかではありえない。そういう前提だから、何千年も悲劇が起き続けた。)
しかし、「神との対話」を始めとし、"A Course In Miracels"も個々の人は神の一部であり、その分離を楽しんでいるに過ぎない。根本はひとつであり、できないことはなにもない。とする。自分が神の一部なのだから、人に依存しなくても神に戻ることは簡単だ、魂は不滅だ、と主張する。
この考え方からすれば、各人がテキストに沿って自分を見つめればよい、もしくはせいぜい、同じ志の人と意見交換をする程度で魂の問題は解決できてしまう。(もちろん、簡単なことではない) 聖職者に教えを乞うたり、魂を支配される必要はなく、人の間に魂の問題での序列などありえない。
水瓶座(アクエリアス)の時代には隠されていたものが表れるというが、「神を利用した選民思想」が崩れ去り、本当は誰もが神であったという、とても大きな秘密の露見は筆頭にあげられるのではないか。
人の教育程度がすすみ、語らずともみんな本能的に宗教は不要だと感じているのではないだろうか。キリスト教も献金が減って財政難なのだそうだ。修道士になる人も激減している。仏教も葬式仏教と呼ばれ、誰も僧侶を尊敬していない。理由は明らかだろう。彼らより自分のほうが教育程度が高い。カビ臭い宗教本の受け売りを聞かされても、現実に太刀打ちできないし、心にもまったく響かない。
多くの人が新たに神を信じる。しかし、その神は宗教でいう神ではない。