自分の内面と外界と密教
夏休みは昔からありますが、あまりに暑くてやってられないから休みにした、とかなんとか。
知らんけど。
最近、世の中はChatGPT(AI)でにぎやかで、AIの答える情報の正しさについて真剣にいろいろ言っている人がいますが、情報をどこからもってきているかまで考えていないようです。AIシステムだけですべての情報をひっぱってこれるわけがない、と考えるのは私がエンジニアだからでしょうか。
なので、AIの出す答えの後ろには「知らんけど」をつけて解釈することをオススメします。
さて夏休みについてですが、夏休みだからなにかしなきゃ、という人もいれば、夏休みだからぼーっとしていた、という人もいますよね。
この考えの違いが人生をわけていくという話です。
外界に対応する自分
会社員でも「勤めている会社でえらくなって高い給料をもらうぞ」という考えもあれば「今の仕事でスキルを身に着けて、他の会社に高い処遇で移動するぞ」という考えもあれば「今の会社から独立してやりたいことをビジネスにするぞ」という考え方もあります。
さらには「今の会社に不満はあるけど他所に移れる自信ないし、働きたくないからいい男性を見つけて専業主婦になりたい。男が女を養うのは当たり前で、私の母の時代はそうだった」という考え方もあります。
持つ思考で人生が変わることは間違いないのですが、周囲にいる人からの思考の影響を顕在意識の面からも潜在意識の面からも受けます。
スーパー大企業で社内やグループ会社でなにもかも揃っている、トヨタ自動車やNTTに勤めていると社内のことを考えるだけで精一杯になるし、いろいろ揃っているので外に出ていくという方向に関心すら向かなかったりします。
外に目を向けたり、逆に仕事を掘り出したい人はさまざまな理由で外の世界に目が向いた人です。
同じ社員でも周囲の思考が占めるパーセンテージと自分の思考を優先するパーセンテージが異なっています。
とくに環境の大きな変化、リストラ、転職、定年などで思考は変わり、心の中をなにが多く占めるかは変わってきます。
環境により信じている考え方が変化すると関心があるもの、見るものが変わり、結果的に行動が変わることは当たり前です。
ここまでは自己啓発書にありがちな、自分が意識できる範囲の話です。
支える信念
感情面でも同じです。
「◯◯されて、こうなった」という口癖の人がいます。こういう人は本来は自分がトリガーなのに、そこを無意識のうちに削除して、起きた現象面から話しはじめます。責任回避、被害者意識ばかりが思考の中で大きなパーセントを占めています。
犯罪を犯した人で正面から「自分が悪かった」という人はあまりいません。なんとか責任回避し、犯罪が露見して責任を取らされること自体を被害だと認識する人はとても多いです。結果的に「自分は悪くない」
言うまでもないことですが、露見した悪事に対して(とくに最近は)世の中の人々は厳しい態度で望みます。それは裁判などで「社会的制裁」と判決に影響を与えるくらいに大きなものです。
理解のために極端な例を取り上げましたが、人のもつ人生観、いいかえると感じ方を「支える思考」で歩む人生は変わるということです。
例えてみます。
見えるもの
スピリチュアルでは肉体と意識に「魂」をプラスします。
私は、魂とは意識を表現するプレーヤーのものだ、という思っています。
ちょっと説明します。
手元にオーディオ機器の一台くらいお持ちでしょう。
それは音源(レコードでも、テープでも、MP3でも、ストリーミング)のどれか、もしくはすべてを再生できるようになっているはずです。
そしてイコライザーという音の特性を変える設定ができるはずです。
これを利用して説明すると、先に説明した「支える信念」ってイコライザーみたいなものだと思ってください。
低音をブーストすると設定したら、どんな音源でも低音がブーストされる。
そして音源を再生します。この音源はさまざまな感覚器官からもたらされた経験に対する思考だと思ってください。
テレビをつけたら「土石流で亡くなった人がいる」というニュースが流れたとします。見ている人は必ずしも亡くなった人本人を知っているわけじゃないのですが、友人で重病な人を思い出したり、コロナにかかった人を思い出したり、いろいろするでしょう。
その思い出した思考が、普段の信念というイコライザーにより「どうせうまくいかず死ぬ」とか「なんとか頑張ってほしいものだ」といったそれぞれの結論に導かれます。
私達はかように感覚器官から得た思考にバイアスをかけて解釈して生きています。
見えなくてもそこにあるもの
スピリチュアルの世界では、昔から自分はオーディオ機器のようなものであることに気づいた人はたくさんいます。
それを魂と呼ぶ人もいました。
再生した時にもった感情は魂に残るとします。
魂を仏性と呼ぶ人もいました。
真言宗の開祖、弘法大師は「即身成仏」と唱えました。
この言葉について、私は厳しい修行をして仏という存在になるという解釈が表面上のものであり、秘密の教えは「今、自分の中の仏性に気づくことができる。」だと思っています。
それは「気づき」なので、いくら本を読んでも会得することはできないのです。
それでは自分がプレーヤーのようなものであること、仏であること、仏性に気づくにはどうすればいいのでしょうか?
空海がもたらしたもの
空海は密教の正当な伝承者として、日本で真言宗という宗派を開いたことは有名です。
そして、いろいろな場所に足跡を残しておられます。「弘法大師ゆかりの◯◯」は全国いたるところにあります。
しかし、空海が残したスピリチュアル上の偉大な業績は真言宗(密教)が有名な割に知られていません。
真言宗では仏は大日如来(宇宙自身)を頂点とし、如来、菩薩、明王、天部という段階に仏様をランク付けします。
ランクに応じて、悟りのレベルが違うことは言うまでもありません。
なお、原始仏教に神様はいませんが、密教においては神様はいます。それは理屈ではないのです。
山伏や修行僧は体験から知っているし、仏様と出会うことが修行の一環です。
「密教の仏は実在しない」という学者は本当にフィールドワークをしたのでしょうか?本に埋もれていても理解は進まないと弘法大師は諭しているのに。
細かい仏様の役割の話はあちこちに掲載されたり本があるので省きます。
ここに特に書き記しておきたいことは、
観音菩薩は如来になれる悟りを開いておられるにもかかわらず、観音(人々の声を聞き)救いたいと願うから菩薩の位におられること。
薬師如来は菩薩のころに十二請願を誓い、やはり人々を救うことを誓っておられること。
明王(不動明王、愛染明王、孔雀明王などがよく知られています)は、いまだ帰依しない民衆を帰依させようとする役割を担っていること。
天部(梵天、帝釈天、吉祥天、弁才天、鬼子母神、大黒天、四天王、竜王、夜叉、聖天、金剛力士、韋駄天、十二神将などが有名でしょうか)は修行中。
これらの霊的な存在を、人々を助けるために招来されたのが弘法大師だとされています。
仏教の中で密教は変わっていて、人の現世の欲を肯定しています。
欲があるから生きる力をもち、欲も清浄なものである、失敗することで進歩する、それを先輩である仏は助けるとしているのです。
このあたりがお経を読んで知識を得るだけの他宗派との違いです。
つまり招来された仏様達は人の悩みを解決する気マンマンなところが、他宗教の神様とは違うのです。
ところが弘法大師の業績はいつしか語られることはなくなり、神様の意味だけが巷に流布することになってしまっています。
そして「密教では」という書かれ方をたまーにしていますが、弘法大師が密教の正統を継いだ人であることを思い起こしてください。
スピリチュアルな助け
密教の話をなぜ書いたかというと、「願望達成」「引き寄せの法則」などという言葉はスピリチュアルな世界で流行していますが、そこにスピリチュアルな存在は自分と宇宙しか出てこないことに違和感を感じたことはありませんか?
神様や天使はどうかかわってくれるのか?
安いスピリチュアルは、(霊能力者の私をとおして)祈れば助けてくれるとか言っているけど、結果についてはあいまいな話ししかしません。
カメラが誤認識した写真を見せるか、作り話をするのが関の山ですね。
ドリーン・バーチューは降りてしまったので、天使についての過去の著作(とくに最後のほう)もアテになりません。
霊的な存在について、すべては神と神となったご先祖の采配であって、本人の努力は二の次のようなことを書き散らかす人もいます。それでは子孫は先祖を超えられないではないですか。
アテにならない人を頼ってさっぱりうまくいかず、いつしかそういう霊的な存在を忘れ、また被害者意識に閉じこもって、週刊ジャンプを見てしまうのが多くの人ではないでしょうか。
霊的な存在との会話を自分でやることは、さほど難しくはないのです。
ただ、霊的な存在は「声」を使わないのです。なぜならば言葉こそがもっとも意味が伝わりにくいコミュニケーション手段だからです。
声はすでにある概念の組み合わせにすぎない、あやふやなコミュニケーションだと理解してください。
あなたが関心をもった出来事をとおして語ることが普通だと思ってください。
この世には「神も仏もある」のです。
そして、密教の「如来」「菩薩」「明王」「天」はあなたの願望達成を助けてくれます。
とくに「天」は、あなたの個人的な願望達成を手伝ってくれる、と密教は教えています。
ただし、まだ悟りを開いていないのでお供物と、お礼参りの必要はあります。人にモノを頼むのと同じだと思ってください。
その恩恵を被った人が実はとても多いことは、伏見稲荷(荼枳尼天)の膨大な鳥居、待乳山聖天の大量の大根を見ればわかります。
他の神様や天使に願うことも自由です。
しかし日本人は1000年以上、空海が招来した霊的な存在に祈り、願いを叶えてきた実績をもっていることに気づいてください。
体験は、あなたの霊的な進化を早めるのです。
ただし、ふたつのことに気をつけてください。
しばしばブログやYoutubeで「◯◯神様に好かれるためには」というものがありますが、神様や仏様は「なんとか願いを叶えてほしいがために、媚びているあなたの心根」はとっくにお見通しです。飾らない、神仏と「いい子になるから、これを叶えて」と取引しないことです。自分の心に素直になりましょう。
もうひとつは、あまり密教にのめりこまないでください。
のめり込むなら僧侶としての修行が必要です。(困ったことに密教系のお寺によっては簡単に僧籍を出すところもありますが注意してください)
印を組んだりする必要はありません。そういうことはお寺に行って専門職の坊さんの祈祷サービスを受ければいいのです。
在家でも法事の時にはお経や真言を僧侶と一緒に唱えます。私の子供のころは、お盆をそうやって過ごしました。印は通常、お坊さんは衣の下で組みますから見えないし、見るべきでもないと思っています。
日本は仏様と神様はゴチャゴチャで祀られてきた歴史的経緯がありますから、神棚に御札を安置して毎日、真言を唱える程度で十分です。
ごちゃごちゃの例をあげます。
七福神の弁天様と密教の弁財天は同じです。
江ノ島では神道で祀っていたり、仏様として展示していたりします。
おそらく七福神の弁天様のほうがわかりがいいからかと思っています。
さらに元々はインドのサラスヴァティです。
サラスヴァティも仏道修行をしていると、密教では解釈されています。
このようなことを書いた理由
坊さんでもない私がこういうことを書いている理由は”週刊ジャンプ”にあります。
家人が買ってくるので長年読んでいます。
ここ数年、すごく気になることがあるのです。
それは人気の漫画のほとんどが超能力が主体なのです。大ヒット「鬼滅の刃」もジャンプ出身の漫画です。
さまざまな理由があるでしょうけれども、大多数の人に見えない最近の”超知的財産資本主義”とでもいうべき変化により、ほとんどの人は低賃金にあえぐようになりました。会社全体がそうなっていまっているところも珍しくありません。
GAFAのビジネスはどこか遠い世界のように感じます。
自分の人生に明るい光を見ることができないから漫画の超能力に惹かれるのではないでしょうか。
頑張れば道が開けるというスラムダンクのような話はあまりウケない世の中です。
ご自分の環境がなんともならないとお考えの人は、神や仏についてまったくの無知にもかかわらず「神も仏もあるものか」と嘆く前に「神仏に頼る」ということを一度、試みられてはいかがかと思います。
仏様にお願いするということ
パワースポット巡りをしても、御朱印帳を集めるなどして、斜に構えていても神仏との縁はできません。それは単なる観光地巡りです。
四国のお遍路は、弘法大師が開いたルートを信じて楽ではな道のりを弘法大師と「同行二人」と信じて巡るのですから観光地巡りではありません。
未だに弘法大師が本当に現れた話はよく聞きます。
仏様はえこひいきをしませんから「私ごとき」と考えないでください。好かれるためにと、媚びる必要はありません。
よくいろんな人の本で「神様に好かれるため」などと書いているものがありますが、神様と自分の欲を満足させるために取引をしてはいけません。神様はとっくにあなたの腹の底のエゴを知っています。
正面から祈り、お寺や神社で提供しているあなたに変わって正式な祈祷をしてくれるサービスを受けて、お願いをすることです。
なぜ「神様に好かれよう」と主張する本が正式参拝を勧めないないのか、不思議でなりません。
半信半疑でもOKです。全面的に信じなければ叶わないということはありません。
ちょっと鎌倉に行った時、ちょっと上野に行った時、ちょっと京都に行った時、気になる仏様にお参りをし、御札をいただいて縁を作り願ってみてほしいと思います。
そこの寺にお参りに行けて、イヤな思いをしなかったということ自体がすでに仏様との縁があるということです。
余談ですが、私はお稲荷様と相性が悪いです。犬飼ってるせいかもしれません。わかりません。
ですから別の神様を頼っています。
こういうことは経験していると、だんだんわかります。あなたはお稲荷様といい縁が結べるかもしれません。
しょっちゅうお参りする必要もありません。
神璽と書いた正式なお札をいただき、それに毎日祈るだけで仏様との縁は維持されます。
朝夕にふと思い出したら、真言を唱えてください。
神仏の世界に距離は関係ないという単純な事実を思い起こしてください。
仏様は助けた結果のあなたの進歩に期待しています。
お礼参りは忘れずに。