クンダリーニ
クンダリーニ
インターネット時代における伝説の考察
クンダリーニを覚醒させるという言葉がある。
クンダリーニとは、一種のエネルギーであり人間の潜在能力を100%開花させるための鍵、といわれている。男性は胴体の底の会陰部に潜み、女性は子宮頚に潜むとする。
クンダリーニは蛇の形をしており、3回半のとぐろを巻いて眠っているという。これがなんらかの理由で目覚めると、脊柱をとおり、次々にチャクラを開き、脳下垂体にあるサハスラーラ・チャクラにいたる。
これにより、その人は宇宙意識を知り、彼と我の区別を知らず、肉体をいつでも超越できる悟りを開くという。
覚醒した人
インターネットをこのような分野で調査することは非常に興味深い。まず、現代、クンダリーニを覚醒させて誰もが話しをできる人はいない。覚醒した人はどこかにいるらしいが、その人について話す人は、決してその人を紹介しようとしない。覚醒した人はみんな過去の人で、今は墓の中だ。
次にクンダリーニを目覚めさせる方法は、インターネットのあちこちに書いてあることは驚くほど同じだ。一方でクンダリーニの覚醒はどの宗教でも、悟りを開く方法として共通している、ともいわれている。一般的に宗教が違うと同じものでも呼び名は違う。方法論も違う。
簡単なことで、現代のブログと同じ現象が起きているに過ぎない。クンダリーニについて、昔、誰かが本に書いたことが孫引きされコピー、転載されているに過ぎない。
ただただ、その効果の偉大さと共に誰も確認していない知識が出回る。
証拠を出す必要がない分野はどれでも、知ったかぶりの権威が乱立するのはいつものことだ。
ここで以外な宗教団体が顔を出す。麻原彰晃が率いていた団体だ。ここは、「クンダリーニを開く」「悟りを開ける」と豪語する。誰も実践した人がいないことをやった人間がいる、と言い切る。心動く人も多いことだろう。
伝説を求めて
オカルト世界の人間は、太古より伝わる知識がすべて正しい、という前提にたつ。一方、科学は古人がいかに間違っていたかを暴きだしてきた。いまだに不朽の倫理書であるパイドンなどを残したプラトンですら、天動説を唱え、奴隷制度を許容していた。人類は丹念に事実を積み重ね、プラトンの説であろうが突き崩し、いまだに真理を追究しつづけている。
一方、古人のいったことをそのまま信じ、黴(かび)た古書を大事にかかえ、そのとおりに修行をした人間で、ひとつでも真理を発見し、人類史上に足跡を残した者はいるだろうか?挙句の果て、エセ宗教に心を惑わされ、道を誤っていくことでしか役立っていない。そういうクンダリーニの覚醒とは、なんなのだろうか? しばしば、オカルトに傾倒している人は「そんな過った知識がいつまでも伝えられることはないだろう」という。そうだろうか?先のプラトンは紀元前400年頃の人だ。天動説はガリレオにより、ようやく16世紀に履がえされた。つまり、2000年もの間、誤った知識が伝播されていたのだ。
伝説の主人公
人は伝説を求める。神話学者のジョン・キャンベルによると神話にはパターンがある。ここでは一寸法師を例にとる。
まず、生活で足りないものが発見される。一寸法師は、身長がハナから足りない。そこで、立ち上がるのだ。一寸法師も長じて旅にでる。もちろん、英雄は死にそうな戦いを繰り広げ、勝つ。一寸法師も彼ならではの鬼の体内にはいり勝利する。そうすると足りないものは満たされる。一寸法師は打ち出の小槌で身長も大きくなる、というようにできている。
オカルトにあこがれる人間も、本人が意識しているかどうかわからないが伝説の旅に出たいのではないだろうか。
- 実世界ではいまひとつな自分が、人類に失われたクンダリーニという能力を求める。
- 情報を求める旅にでる
- どこかにグルがいて、修行をすることで限界を超えれば、失われた能力を発見でき、
- 実世界に英雄として帰る。
というストーリを無意識に演じたいのではないだろうか。しかし現実では、そういう「英雄」がオカルトの知識を求めてさまよい、餌をさげたエセ宗教、エセグルの餌食になっている気がする。当ホームページでもいろいろとオカルト的なものも取り上げているが、クンダリーニほど実証の片鱗すらないものも珍しい。すべての情報は二次情報なのだ。
クンダリーニとは
伝承されているようなクンダリーニについて、私は疑問だらけである。むしろ、クンダリーニが眠っている場所は性的な場所であり、たしかに性エネルギーは(というと誤解されそうなので、「恋」でもいい)人をどこまでも駆り立てる。
異性を求める恋にまつわる出来事はいまさら、こんな無粋なホームページに書くまでもないだろう。莫大なエネルギーを発生してきたのは、疑いもない。
そのエネルギーが理性と共に働けば、宇宙の真理ですら解き明かすだろうし、実際に人類はいくつかの真理を解き明かした。
クンダリーニとは誰もがもち、誰もが発揮している性エネルギーだ。いまさら探すものではないと思う。