神との対話のふたつの面

2012/7/14 土曜日

神との対話のふたつの面

2002年9月から10月まで、なんと「2ちゃんねる」にリアルゴッドという神があらわれ、「神との対話」の続きを語ったのはご存知でしょうか。その後、二度とあらわれないためいろんな人がいろんなことをいっています。リアルゴッドの質疑応答を見て、ある人は救われ、ある人は偽者だといい、ある人は利用しようとし、ある人は神様の霊性が低いといっています(笑)。価値判断は簡単で、いっていることが自分の心に響き、自分の役に立てばいいことでしょう。自分の人生を他人の価値観(いわゆる人目)だけで生きることを選ぶ人によく会います。自分の判断を大事にするか、自分の判断すら他人に保証してもらわないと気がすまないか、が人生を大きくわけている気がしてなりません。2チャンネルのリアルゴッドのログは簡単に入手できます。興味のある方は探してみてください。私がここで取り上げたいことは、リアルゴッドを中継したラッパという人物が重要なことを言い置いてくれたことです。それは、彼はどうやって神と対話しているか、です。その部分だけを抜粋します。

今では基本的に言葉ですが、特に散歩している時にはそれは「感情」です。

うまく言えませんけど・・。

ただ、空を見上げて、信じられ程気分がよくなる。

何気ない立派な街路樹に感嘆する。

そうした時、非常に豊かな喜びというか、情感が湧いてきます。

そんな時、僕は「言葉」で問いかけます。

これもあなたのメッセージですか?

すると彼は、嬉しそうにそうだよ、と言って色々話してくれます。

そして例えば、僕があなたの「個人情報」を知りたいと思いますよね。

すると彼は「本当にキミは知りたいかい?じゃぁ耳をすましてごらん。

・・・・・という人なんだよ。

おや、やっぱり聞こえなかったな」とからかいます。

どうもこうした情報の取捨選択は僕の方で行っているようです。

何故なら、僕たちの世界はまだまだプライバシーという考えがあるし、僕自身それを大切に思っているし、全てが筒抜けになることを僕が恐れているからだそうです。

そしてこうした情報の選択はニールさんもそうだし、その他のチャネラーと呼ばれる人たちも同様だそうです。

そして「全知」を僕自身が恐れている限り、残念なとことに(?)、テストを受けていて、「神様~、ここわかんないよ~」と泣きついても、彼の伝えることを僕は再生できません。

そして僕が彼の声を再生できるからといって、決してあなたよりも魂が進化しているとか、そうしたことはありません。

単に僕の方がより単純に、ニール氏の神との対話は実際にあったんだ、と受け入れたこと、そして強く求めたことがその理由のようです。

あるいは、単に二重人格の妄想癖かもしれません。(笑)

僕の知り合いの研究者は頭の中に数人の人格をもって議論することができるそうですが、もしかしたら、その一種なのかもしれません。(笑)

ですが、それでも神は存在すると僕は確信していますし、それでいいと思います。

ただ、それだけです。

単純な事実として認識しています。

そしてあなたもまた、あなたに最も適した形で、神との対話をはじめてください。

彼はジョークも言えば、素晴らしい感動や智恵を与えてくれます。

生きること、それ自体が喜びになります。

僕は、この喜びを分かち合いたかったんです。

もしかしたら、やっぱり僕の妄想?と思う時もやはりあるといえばあります。

ですが、もしその妄想が皆さんの役に立つのなら。こんな妄想にも価値があるのでしょう。(笑)

ラッパさんが書き残した大事なフレーズを繰り返します。「空を見上げて、信じられない程気分がよくなる。何気ない立派な街路樹に感嘆する。そうした時、非常に豊かな喜びというか、情感が湧いてきます。そんな時、僕は「言葉」で問いかけます。これもあなたのメッセージですか?すると彼は、嬉しそうにそうだよ、と言って色々話してくれます。」

このように気分がいい時は、魂が神と同調している時なのかも知れません。ニールは「神との対話」で、神に対して恨みの日記を書いていたら、突然、手が動き神との対話が始まったといいます。

次の巻では、手が動きだすまで半年以上かかったといいます。その時、神は「呼ばないからだ」と軽くいなしています。その人なりのやり方でいいから神と魂を同調させると、神と話すことは可能なのかも知れません。なんと簡単なことでしょうか。

(2006.5.22)各々が自分で神を感じ、感じたたままを語り合えたら、人類は大きく進歩する気がしてなりません。その時こそ借り物の価値観は消え去るでしょう。

しかし、世界はそうはなりません。人それぞれは分離し、弱肉強食、だまし合い、どんな手を使っても競争に勝ち抜き成功を手に入れるのが人生だ、と 考えている人はゴマンといます。

そして、そういう人にとっての「神との対話」は、「要するに俺がやりたいようにやれば、宇宙はついてくるってことだな」となります。

ザ・シークレットを読んだ、多くの人は本音ではそう考えたはずです。だから、あれほどベストセラーになったのでしょう。

すべてはひとつ、という理念は素晴らしいですが、達成するためには自分自身、周囲との猛烈な軋轢があります。

そこまで考えると「自分のやれることに限界はある」と考えるのが我々凡人というものです。神との対話で語られていることは理想ではありますが、我々が今生でどこまでたどり着けるかは、よくよく考えると疑問となります。そのあきらめの度合いは人によりさまざまなんだろうな、と思います。

(2011,11,16)この記事ほど、私自身の成長が出ている記事はないかも知れません。2011年、チャネラーとなった私は思います。

ラッパさんが教えてくれていたことを知るまで、なんと9年!!! 人それぞれ真理に至る道は違うけれども、同じところへ行くという神の言葉をあらためて噛み締める日々です。

チャネリングは半分は自分のバイアスがかかります。冗談をいう明るい神との対話となるか、おごそかな畏怖の念をもって神との対話となるかは、人それぞれです。

それでも多くの人はストレートなメッセージを受け取る時代となるでしょう。なにかが見える、声が聴こえる、感じる。怖がらないでください。もう、神とあなたが直接対話する時代なのですから。

この記事がチャネラーの道を歩む人の参考になれば、これに勝る喜びはありません。